2013年01月09日

【ちほく高原鉄道・廃線めぐりレポート@池田駅〜様舞駅】

訪問日:2012年10月9日

北海道ちほく高原鉄道の廃線跡めぐりは、2日間かけて行いました。


 わざわざ飛行機に乗って北海道まで行って、観光は一切
 せずに廃線跡だけまわって帰るなんて、贅沢だね!
 おくたん!

 そうだね〜。
 (ちょこっとでいいから、観光もしたいなあ…)


実は同じ年の夏にも北海道へ旅行に行きました。
分線駅、陸別駅、薫別駅については、8月に撮影した写真も含みます。

廃線跡めぐりは、「池北(ちほく)」の「池(ち)」である池田駅からスタート
しました。

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※クリックすると別ウィンドウで開きます。

池田駅は、JR北海道根室本線の駅です。
ブドウの栽培とワインの醸造が有名な町で、駅前にはワインボトルの
オブジェが。
駅すぐそばに、「池田ワイン城」なる観光施設もあります。
下の写真は、地図1-@地点から撮影したものです。

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ちほく高原鉄道は、専用の4番線ホームに発着していたようです。
(3番線も使用)

地図1-A地点から1番線ホームからのぞいてみると…

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 4番線は…あれ?ない…
 2番線と3番線しかないよ?



 4番線は、2、3番線の先っぽの部分なんだって。


 えっアレ?!
 別にホームがあるんじゃないの?


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(地図1-「4番線」)


 ここからちほく高原鉄道は出発してたんだね。
 何だか物凄い間借り感が…



 じゃあ、廃線跡めぐりも出発だよ!



 うほほ〜い!


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デジカメにビデオカメラ、Googleマップのデータを入れたタブレットPCを
装備して、だんなぽん運転のレンタカーで出発です。

次の様舞駅までは、5.7Km。
いきなり駅間約6Kmです。
さすがは北海道。規模が大きいです。

駅から少し北見側へ走ると、ちほく高原鉄道は右にカーブして、
根室本線と離れていきます。

分岐地点からすぐの場所で、早速踏み切り跡を発見。
築堤がはっきりと残っています。

池田駅側(地図2-@)と、

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北見駅へ向かう側。(地図2-@)

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さらに少し進むと、小さな橋の跡を発見!(地図2-A)
写真は、池田方面を撮影したものです。

meguri006.jpg



 町の中なのに、結構残ってるね!


廃線から5年も経ってしまっているので、どの程度残っているのか
心配していましたが、一目でそれと分かる形跡があって一安心。

続いて、地図2-B地点、北見方面。

meguri007.jpg

地図2-C地点、北見方面です。
ちなみに、池田方面はブッシュになっていました。

meguri008.jpg


 あの〜。全く代わり映えのない景色なんですが、
 写真撮る意味ありますか。


 何言ってるの、おくたん!
 やるからには、見れる所は全部撮るんだよ!


 ねちっこいなあ…
 (ブログでは省略しよう。)



 ブログにも載せてね!


 ………あ〜、はい…
 (何で考えてる事が分かるんだろう…)


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さらに進んで、地図3-@地点。
こちらも北見方面です。

meguri009.jpg

上の写真に写っている木の横に、こんなものが立っていました。
何の標識なのか分からないのですが、「鉄道」が残っていました。

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この先しばらく、ちほく高原鉄道は道路から離れた場所をまっすぐに
進みます。
奥の方に真一文字にのびる木立ちにも見えるブッシュが、
廃線跡のようです。
地図3-A地点あたりから撮影しています。

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※クリックすると別ウィンドウで開きます。

だんなぽんが車を走らせ、再び道路と廃線跡が交差する
地図4-@地点までやってきました。
北見方面を撮影。

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気をつけて記録しないと、どこかどこなんだかよくわからなくなってしまう
程、同じような何もない景色です…

さて、いよいよ様舞駅です!

様舞駅は、1950年に仮乗降場として設置され、1959年に正式に
駅になりました。
利用客はとても少なく、Wikipediaによると、年間の平均乗降客数が
わずか5人程度だったとか…

無人駅で、板張りのホームと小さな待合室があったようなのですが…

meguri013.jpg


 ??!?どこ?!



 すごい藪だね〜!


何も残っていないどころか、自然に還りはじめていました。
もう全く、何にもわかりません。

付近に十勝バスの様舞停留所がぽつんとあるだけでした…

meguri014.jpg


★こちらのサイトさんで、様舞駅があった頃の姿が見られます。
「藻岩車掌所」さんふるさと銀河線の話様舞


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2012年11月27日

◆飯給駅 訪問記録(2012年クリスマスイルミネーション)

訪問日:2012年11月25日

房総へお出かけした帰りに、たまたま飯給駅の傍を通りました。




 え…
 何?このエレクトリカルファンシー…






 駅舎に星…?!







  何か、音楽かかってるね。


 ちんちろちんちろ、この曲は!
 まごう事なき、クリスマスソング!






 ど、ど、どうしちゃったの飯給駅!
 おくたんの郷愁の飯給駅があぁぁあ!


 落ち着いて、おくたん!
 これきっと、クリスマスのイベントだよ。


だんなぽんの言うとおり、クリスマスのイベントイルミネーションでした。

小湊鉄道では、2012年11月25日〜12月27日まで、イルミネーション列車というのが走るそうです。

イルミネーション列車とは、イルミネーションで飾られた列車に乗って、 イルミネーションで飾られた駅を見ながら、いちはら市民の森のイルミ
ネーションを見に行く、というイベント列車だそうです。

【公式ホームページはこちら】


↑高滝駅舎内にチラシが張られていました。

飯給駅は、イルミネーションで飾られる駅の一つだったようです。


 最初は驚いたけど、これはこれで綺麗でいいっちゃいいかも。


 無駄な明かりがなくて暗いから、
 イルミネーションが映えるね。


とても綺麗なのでじっくり写真を撮ったりして楽しみたかったのですが…



 さ む い!


訪問した時間は17時半頃。この時の飯給駅周辺の気温は、約7度。



 遊びに行かれる方は、暖かくしてお出かけ下さい〜


ところで、飯給駅には大きな女性専用のトイレが出来たんですよね。
今度、利用してみたいと思っているのですが…
(今回は残念ながら、もよおしませんでした・笑)


↑夜に写真撮影すると、モデルルームか何かのようです…



 トイレの写真撮ったのなんて、はじめてかも。


このトイレ、なかなか斬新で面白いのですが、照明がね、上方向を
向いているんですよ。
先にも書きましたが、駅の周辺は暗いので、足元に明かりが欲しい
わけですよ。
でも、上向いてるから、足元は暗い、顔は眩しい、という。



 市原市さ〜ん、足元に明かり下さ〜い!



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posted by おくたん at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) |   └小湊鉄道線(千葉県) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月28日

【ちほく高原鉄道とは?廃線までの歴史】

ちほく高原鉄道は、旧国鉄特定地方交通線の池北線(ちほくせん)を
引き継いだ、第三セクター鉄道でした。

この路線の始まりは、1910年。
道央と網走を結ぶ幹線鉄道網走線として、池田駅〜淕別駅(りくんべつ。現在の陸別)までが開業しました。

1911年に、淕別〜野付牛(のつけうし。現在の北見)までが開業。

翌1912年には、野付牛〜網走が開業し、路線の名称が網走本線に改称されます。

当時はまだ、石北本線(新旭川駅〜北見駅〜網走駅)はありませんでした。

網走本線がたった2年で全通したのには、高知県から入植したキリスト教系移民団体北光社(ほっこうしゃ)の訴えと努力によるものとされています。

北光社は、ちほく高原鉄道の駅名にもなっています。

1932年に石北線が野付牛まで到達します。
網走本線よりも石北線の方が道央への距離の短かった為、石北線が
メインルートになり、網走本線の乗客は減少していきます。

1961年に線路名称の整理が行われて、石北線が石北本線となり本線に、網走本線だった池田駅〜北見駅の間は、池北線に格下げされる事になりました。

池北線へと名称が変わった後も、池田駅〜北見駅間の輸送量は減少を続けます。
1980年に国鉄の経営を再建する為の国鉄再建法(1986年廃止)が制定されると、 池北線も廃止対象路線になってしまいます。

営業キロが100km以上あった池北線は、同じく営業キロが100km以上の標津線、 天北線、名寄本線と共に長大4線と呼ばれ、その存続をめぐって、 地元自治体と国鉄側が協議を重ねました。

1984年に行われた第2次廃止対象路線の審査では、「バスによる転換をしなければ ならないかどうかを調査する為」として、池北線を含む長大4線は、 一旦は廃止の承認を留保されます。

しかし、1985年、乗客数の減少により赤字の増大が予想される事や、 冬季のバスによる転換に問題がない事を理由に、第2次廃止対象特定地方交通線 として追加承認されてしまいました。

池北線の廃止が決定すると、沿線自治体や沿線住民が存続を訴え、 1989年に第三セクターによる北海道ちほく高原鉄道株式会社を設立。

同年6月4日に、池北線は「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」として再出発する事になります。


(陸別駅跡にて)

第三セクターへの転換には、池北線の輸送密度が長大4線の中で一番高かった事、 1989年頃は第二次ベビーブームで、鉄道を利用する学生がたくさんいた事、 バブル期で金利が高く、経営安定基金の運用益で赤字補填の目途が立った事など、 いくつかの条件が大きな影響を与えたようです。
また、足寄出身の衆議院議員鈴木宗男氏の強い訴えもあったようです。

しかし、乗客の減少は続きます。
少子化時代を迎え、主な旅客である学生が減少。
長引く不況や公共事業の削減により、沿線人口の流出・過疎化が進行。
1990年には年間102万7千人あった利用者数も、1995年までに81万6千人、 2003年度には約50万人まで半減してしまいました。

また、ゼロ金利政策による低金利の状態が続いて、経営安定基金の運用益による赤字補填が 難しくなった事で、経営状態はどんどん悪化。
赤字は年間数億円規模に膨らんでしまいました。

北海道ちほく高原鉄道株式会社側は、沿線自治体に対し、ちほく高原鉄道存続の為の 資金協力を要請します。
しかし、ちほく高原鉄道以外の公共交通機関が全くない陸別町以外の沿線自治体は、 資金の協力を拒否します。

資金が集まらなかった事を受け、2005年3月27日の取締役会で陸別町長以外の賛成により、 ちほく高原鉄道の廃止が決定されました。

2005年4月21日に、北海道運輸局長に廃止届が提出され、ちほく高原鉄道は、2006年4月20日に廃止となりました。

ちほく高原鉄道廃止後は、バス路線(十勝バス)に転換されています。


(足寄駅跡にて)

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posted by おくたん at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) |  └北海道ちほく高原鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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